伊達巻もの

みたもの触れたものをとにかく残してみる雑記

2018振り返る

ああブログが習慣化できなかった。
ここにまとめる以上、これから始めざるをえない。

セキスペに落ちた。
TOEIC 895。900越えの目標にいい感じで届かなかった。
筋トレ、二日坊主を三度繰り返した。
恋人はできなかった。(現実的に後二日で奇跡が起こるとは思えない)

まず出てくるのはネガティヴな事ばかり。
仕事も今ひとつ打ち込む、という感じでなくて、
自己研鑽も、試験終わった瞬間緩んでいて、
楽しいことばかり目が向いてる。
なんともエネルギーが少なくて、怠け心に負け続けている。
そんなこの頃のメンタルのせいか。

ポジティブなことといえば、
引越して、憧れた以上のベストエリアかつ家、身の丈ベストインテリアで暮らせている。
フラメンコ再開した。
宝塚が暮らしの一部になった。
希望部署に配属され、憧れの職人方と沢山話せた。
毎週でも会いたいと思える人に出会った。
惚れ込んだ服を買えた。
館長と話せた。
研修で濃い経験ができた。
中途半端な気持ちに整理がついた。

ちゃんと並べると良かったやん!と気付く。
来年抱負はまた。

心を入れ替える

少し前の自分にとって、全くもって、一番必要な、核心をつく言葉だった。
友達にもその話をして、そらな、とツッコミでたたみかけてもらった。

コントロールや予想が効かない範疇のことに対して、把握できるようなつもりになっていて、
それが負のスパイラルを生んでいた。
仕事の話。
仕事を自分の生活から頑なに分けようとしていた。
(元々そうなる職業は選ぶまいと思っていたのに)
ただ、そんなんでやっていけるのは研修期間のこと。
分けられるほど楽な仕事でもないし、
そもそも分けられるほど器用じゃない。
ことも思い出した。
とにかくこの一言で、だいぶと、
むしろ心が軽くなった。

カフェの理想_その2 もしや安定の文学館カフェ

ちょっと違うんよなあ。。が続いていたゆるいカフェ探し、

最近訪れた文学館内の2店がかなり良かったので、

今後は「館内系」に迷わず入って行こうと決めました。

風河 @前橋文学館(群馬 前橋)

 夜ばバルになるそうで、お酒も種類豊富に並んだカウンターと、

室内はテーブルと窓際のカウンター席、テラス席もある。

 広瀬川(意外と激しく流れているのでつい驚く)沿いの公園のような一帯を臨みながら、

これまた意外とボリューミーなクラブハウスサンドを頂きました。

 音楽はクラシック(ピアノ)で、リストの悪魔の踊りを久々に聴けてうれしかった。

持っているものと同じアルバムだったかもしれない。

 オサレ!というわけではないけれど、決してダサくもなく、リラックスできる良いところでした。

次回はカレーを食せねば。

 

モリキネカフェ @森鷗外記念館(東京 千駄木

 鷗外の留学先にちなんだドイツ系軽食「モリキネプレート」とブレンドコーヒーを頂きました。

 まさかのドイツ。プレッツェルに自家製ピクルス、千駄木のハムとコンビーフにヨーグルト。プレッツェルはちゃんと温めてくれているし、ピクルスは同じ名前のどのバルで食べたものよりおいしかった(ハーブがちゃんと効いてる)。

コンビーフも塩味が優しくて上品。

 内心、孤独のグルメ並みの感激の実況してました笑

 コーヒーも好きなタイプで飲みごたえがあった。

 建物と同様モダンなおしゃれ空間で、また雨の日なんかにブランチに来てみたいと思いました。

 

 文学館自体の満足感を差し引いても、良い。

 引き続きどしどし訪ねて行こうと思います。

 

カフェの理想

引っ越してから、まだ、これだ!と思えるカフェに出会えてない。
そこまで真剣に探しているわけでもないし、
これまでも語れるほど行き尽くしているわけではないのですが、
最近は、
また行くつもりだけど、ちょっと違うんよなあ。。
というのが続いてる。
今のところダントツは、
武蔵境の「カフェサカイ」さんです。
椅子良し、内装良し、食べ物最高、お洒落とカジュアルの絶妙なバランス良し、営業時間完璧。
しかもWi-Fiも使えるときた。
でも今は遠い。

ふらっと寄れる距離で、
気張り過ぎないけど食べ物込みでトータルコーディネートされた空間で、
高すぎず、ロハス方面にうるさ過ぎず、
長居も許される環境で、
粉もんスイーツが美味しくて、
ちょっと変わったドリンクがあって、
音楽とWi-Fiは問わないので!
どこかないものか。。

目力について

大きい目、特に男性についてはタレ目にめっぽう弱い。(女性はつり目。)

目が印象的な人が大好きなのに、それで見られると全く参ってしまう。

この間も、目を見て普通に話を聞いていたにもかかわらず、

会話が切れた時にまともに見つめられた途端、

逃げないとビームか何か刺さってくるような感覚になって、ただちに逸らしてしまった。

それも何度も。だって刺さるんだもの。

嫌っていると思われたやもしれない。

時に雑誌でも同じようなことが起こる。見たいのにまともに見られない。

情けない。

毎日顔を合わせている人ですら、一年間はだめだったことも。

 

自分自身も目について言われる方で、それ自体はとてもうれしいのだけれど、

何せ瞼から眉までの広さと頬より低い鼻とで、

自分では薄くて面白味のない顔だと思っている。

それでも、目力というものを、メイクだけでなくて、

視線とともに武器として効果的に操れるようになれれば、

どんな強力な目の持ち主に出会ったとしても、

逸らさずにいられるのかも。

料理番組のはしご


ついに外付けHDDを備えて、番組録画ができるようになったので、

さっそくいくつか予約をしてみたところ、料理番組のはしごができた。

一人暮らしになったので、自炊のためのtipsを得るという実用的な面が加わったものの、

そもそも料理番組というものが、小学生の頃から大好きである。

さらに小さい時も、物心ついたときから、レシピ本なり絵本でも料理を作る場面がお気に入りだった。

特に女子ゆえの作る憧れや食べ物への興味があったろうし、

実際子ども向けの料理ネタの本が多いし、子どもはだいたいそんなものなのだろうけれども、

アラサーになった今も、同じ熱量で、作りもしない海外の郷土料理のレシピ本を集めたり、娯楽として毎週録画したりする。

単純に食べることが好きというより、材料が変化していくのを見るのが面白い。

味や色や匂いや触感・食感が、各作業を経て変わっていくこと。

お菓子作りはその点、変化がちょっとドラマティック過ぎる。

焼き菓子なんか特に。粉と液体混ぜて加熱したらあら不思議、パターン。

いや奥が深いのはわかってはいるのだけれど、難易度が高い。

料理を作るプロセスを見るのがいいよね、という文脈だったか、誰の言葉だったかも覚えていないけれども、

以前ある番組のなかで、「自分のために料理してくれているのを見るのって、幸せを感じる(だからカウンターっていいよね)」

といった主旨の発言があって、納得する一方、あんまり共感できなかった。

常に作るひとにはあまり焦点が合ってないのかも。

となると母、祖母に申し訳なくなる。

 

加えて料理コンテンツの魅力としては、ぶれないビジュアルの美しさもある。

材料自体、料理自体も、自然の調和した色合いの美があるし、

恣意的色を加えること、掛け軸にするように器に盛ることで、

いわば完成された絵になる。そこのところの技もまた面白い。

ビジュアル面でいえば、特に海外の料理番組は写真集のよう。

情報量少なすぎて料理の再現性はとれなさそうだけど。

 

また料理を作る方についてもそのうち。

はじめる

はじめまして。idatemakiです。

 

社会人になったって習慣的に物書きをしたい、せねばならん、と、

はてなでブログを再開することにしました。

日々の事や意見表明というよりも、

みたもの触れたもの、好きなもの嫌いなもの、記憶の一場面等を言葉で描写する感じを目指すつもりです。

途中で勉強ブログになる可能性もあるものの。

できるだけ毎日、更新。Instagramと連携もそのうちに。

という今の気合がいつまで続くだろうか。。

 

どうかよろしくお願いいたします。